藤 沢 周 平


昭和2年(1927)〜平成9年(1997)本名小菅留治と云う。

鶴岡市大字高坂に生まれる。旧制鶴岡中学(県立鶴岡南高校)、山形師範学校(山形大学)を卒業し、湯田川村(現鶴岡市湯田川)湯田川中学に赴任するも、学校の集団検診で肺結核が発見され休職し後退職療養生活に入る。

病気回復後(昭和32年、三十歳)業界新聞の記者を努める傍ら、作家活動を続ける。昭和34年鶴岡市湯田川の三浦悦子と結婚、長女展子が誕生するも妻若干28歳癌にて失う。病弱な母親と幼稚園の娘をかかえる苦境の中、東京都江戸川区小岩の高澤和子さんと再婚す。

その後生活も安定し昭和38年頃から投稿を始め昭和46年に「溟い海」でオール読物新人賞を受賞。さらに48年「暗殺の年輪」で直木賞を受賞する。その後も次々と長篇・短篇の時代小説の傑作を発表し、その後61年には吉川栄治文学賞、平成元年菊池寛賞など次々に受賞する。彼の独特な時代小説は日本文学に新境地を開いたと賞されている。

郷里鶴岡=海坂藩が舞台となった小説
「蝉しぐれ」、「三屋清左衛門残日録 」、「又蔵の火 」、「義民が駆ける 」

海坂藩の海坂
の地名は病気療養中の昭和 28年夏から31年夏まで会員となっていた俳誌「海坂」に参盛んに投句をしていました事から、採られたと考えられている。

平成7年には紫綬褒章を受けたが、翌々年の平成9年肝不全にて69歳で没す。